THE REAL WORLD  Second Season 「麦藁帽子の下で……」
[ 第十五章 ☆ 過去を刈る者]

  バッシャァァァ!

 

 目の前で、盛大な水しぶきがあがった。

 全身に朱い水しぶきを浴びたが、かまわずそのしぶきの中心に向けて踏み出す。

「てめぇに、なにがわかる!」

 左腕で床に倒れた男の胸倉をつかみ、目の高さまで持ち上げた。間髪おかずにその顔面へ、握り固めた右拳を叩き込む。

「人形?

 ――ふざけるなよっ 動いて、言葉を話して、ものを考える……どこが人形なんだよ!」

 二度三度、五度六度と拳をそのツラに叩き込んだ。

「………」

「造られた物だから人形?

 切れば紅い血が流れる人形がいるかよ、生きている人形がいるかよ!」

 

  バッシャァア!

 

 のけぞり、額を迷わず叩きつけた。

 つかんでいた黒シャツがちぎれて、男が再び朱いしぶきをあげて床に倒れる。

「ハーッハーッハーッ……」

 荒い息と共に、むやみに疲れを感じた。脱力してうつむく――足元に、短剣があった。

 母さんのために、長年旅を続けた親父から借りた剣だ。

 その剣を見た瞬間、この男がうけるべき贖罪が俺の頭に浮かんだ。

 短剣を取り、朱を払う。白い、純白の輝きを放つ刃が俺の手に現われた。

「お前が、どんなことをしたのか、その身体にいま再現してやる!」

 短剣を手に、俺は動かない男の上にまたがった。剣を振りかざし、その首に狙いを定める。

 

 …しい……

 

 なにか、聞こえたような気がした。しかし、俺はかまわず短剣を振り下ろし―――

《ラ…ウル、苦しい……よ…》

「!」

 刃が男の首に食い込む、その寸前で『なにか』がわかった。

 ―――パムだ。

「パム!」

《ダ…メ……憎しみ…で、殺しちゃ…ダ……》

 すっかり顔色を悪くしたパムが、まるでうなされるようにつぶやいていた。

(そうか、パムは妖精だから……)

 ただでさえこの凄惨な状況にまいっているのに、俺まで――

「……ちっ」

 俺は短剣を、仕方なくひいた。

 刃はわずかに首に食い込み皮膚を裂いていたが、致命傷にはいたっていないはずだ。

 わずかについた紅い血をふき取り、短剣を鞘に戻す。

 気絶しているのだろう。動かない男に怒りはまだあふれているが、俺が殺したらパムも死にかねない。

「なんせ、パムは俺の精神(ココロ)を食ってるらしいからな……」

 俺が憎めば、パムは憎しみを食うことになっちまう。

 それは毒を食べるも同然だ。

「死んではいない……な、目覚めが早ければ助かるだろ。時間制限(タイムリミット)に間に合わなくて死んだなら、それは自業自得だ」

 この男がやったことを考えれば、望みがあるだけ罰としては軽すぎる。

 あらためて周りを見ても、一面朱色に染まっているんだ。夕焼けのような美しい『朱色』じゃない。

 紅の混じった、血生臭い朱さに。

「……急いで地上に出ないと。パムのこともあるし、なによりこんなところで水没し(おぼれ)たら奇蹟も希望もないんだ」

 俺は手荷物から細めのロープを取り出して、赤毛の子(ロビン)の身体に巻きつけた。ややキツメに締め付け、布を傷口に押し付ける。

 その状態で刺さったままの短剣の、その柄に手をのばし……

「―――ン!」

 軽く気合を入れ、短剣を一気に引き抜いた。

 流れ出る血を布で押さえつけて、それをロープで固定する。なんとか止血しないことには、地上まで連れて行くことも出来ない。

「十分な時間と、ここにある遺産を使いこなすだけの知識が俺にあれば、こんな傷を治すなんて難しいことじゃない………ハズなのにな」

 焦る気持ちをなんとか押さえつけながら、しっかりと止血帯を締め上げる。幼い体に食い込むロープを見ると少し心が痛む。

 だがそれだけの力で締め上げても、なにも反応しないことのほうが問題だ。

 

 ――この娘のことも、パムのこともある。急いで外に出ないとッ

 

 やっとのおもいで止血できたとき、背後で声がした。とっさに手元にあった短剣を、振り向きざまに投げつける! 

「無駄な……罪を行うのだな」

 いつ気がついたのか、男はすでに立ち上がっていた。俺の投げた短剣を、顔色一つ変えずにつかみとって。

「……見ため通りに重い剣だな」

「現在では加工できない、特別な鋼だ。なにをしても刃が欠けることはない」

 男はそれだけ言って、軽く剣を振った。先端から紅い雫が飛び散る、その動作に『重さ』は微塵も感じられない。

「一つ聞いていいか」

「………」

 返事はなかった。

 それでも、かまわずに続ける。

「無駄かどうかはともかく、『罪を行う』とはどういう意味だ?」

「……その人形は、過去の罪が作ったものだからだ」

 

 ―――過去の罪? 人形?

 

 なにを言っているんだ。ここにいるのは俺達と、横たわる少女達だけだというのに。

 それとも、以前にあの子がなにかしでかしたのだろうか?

 だが、もしそうだとしてもやりすぎだ。子供がなにかやったなら、尻でも叩いてやればいい。

「なぜこんなことをするんだ? ――いや、なぜここまでするんだ」

「罪は、消えない。誰かが刈りとらなくては、罪は残りつづける。

 そして、それを罪と知らない者が触れたとき、罪は再び不幸を重ねてしまう。

 ――だから私が刈るのだ。これ以上不幸を重ねないために」

「いったい何が、どう罪だって言うんだ?」

「……ここで多くを語るつもりはない。時がない、そこをどいてもらおう」

「とどめを刺すというなら、断る!」

 少女に背を向けて、自分の短剣を手に男の前に立った。

 手を伸ばせば、触れることのできるような距離で男と向かいあう。

 おそらく男の方が頭一つ分ほど、背丈が高いのだろう。

 黒メガネの向こうにあるはずの男の眼を、俺はにらみ上げる形になった。

「だいたい罪ってなんだ? こんな子供に、あんたがやっていること以上の罪があるって言うのかッ」

「……ひとつ訊いておきたいことがある」

「なんだよ」

「お前のその前髪は、染めているのか? それとも自毛なのか?」

 前髪? いま、この状況でなんで前髪なんか気にしてられるんだッ

 いまはどうでもいいことだろ、俺の前髪なんて!

「いま、俺の前髪(色ちがい)なんて気にしている時かよ」

「大事なことだ。お前にとっても、私にとっても」

 いらだち熱くなる俺とは反対に、彼の声はまるで氷のように冷めていた。

 二・三度は気温が下がったような感じすらして、無意識に身が縮む。

「……産まれつきだよ」

「そうか。ならばもう一つ確認しておこう、お前の産まれた土地はどこだ?」

「あんたになんか、答えたくない」

 一言返すのが、精一杯に感じていた。

 見えない男の視線に、一瞬で全身に広がるような悪寒を感じた。

 まるで俺を包み込むかのように、周りの空気が凍ってしまったような錯覚すら覚える。

「そうか。やはり罪は、罪をかばうか」

 男はその口元を微妙に動かして――彼が初めて俺に向けた感情のある表情(かお)は、沈み込んでひどく悲しげに見える、笑みだった。

「……一体なにを」

 ――言っているんだ?

 そう訊こうとしたときに突然、悪寒がした。

 まるで胸から背中まで、なにか冷たいものが貫くような感触……

 俺が思わず後ろに跳び下がったのと同時に、男が両腕を大きく後ろへ振った。

《ラウルッ》

 パムの叫びが聞こえた――その次の瞬間には黒い影が、まるで激流のように俺の胸元になだれ込んできた!

 目の前から――ゼロ距離から、刃の放つ鈍い輝きが胸元に滑り込んでくるッ

  ギィン!

「……ッ」

 とっさに、自分の意思よりも先に身体が動いた。跳んだ勢いのまま半歩引いて身をよじり、短剣で胸元に伸びてくる刃をさばく。

 速さと体重の乗った、重さのある一撃に受けた俺の短剣が激しい金属音が鳴り響かせる!

「いきなりかよ!」

「苦しみたくなければ、抵抗するな」

 抑揚のない声で言いながら、男は離れようとする俺を追ってさらに踏み込んでくる。

「今の、受けなかったら死んじまうじゃないか!」

「無論、殺(け)す気だ」

 男は淡々と言い、再び間合いを詰めノド元を狙ってきた。

 一撃必殺そのものの攻撃を、左に跳んでかわす。空を突いた切っ先は、だが即座に弧を描いて宙にいる俺の右肩を襲ってくる!

「ッッッ……と!」

 迫る刃を短剣の側面(はら)で受け、その勢いは肩で吸収――その勢いに逆らわず、逆に利用してさらに大きく跳んだ。

      ひとまず少しでも離れるためだ。

「やめろッ 今度こそ殺すぞ!」

 ――パムのことがなかったら、殺したいくらいなんだッ

 手にしている短剣を軽く振るい、再び間合いを詰めようとする男を牽制する。   

 その俺を前に男は、半歩右足を引いた軽い前かがみの姿勢を再び見せた。

 さっきの、あの鋭い踏み込みの姿勢だ。

「青年、殺れるならば殺ればいい。私は君と会った以上、殺らなくてはならない」

 

  ギギィン!

 

 前傾姿勢から腕を振り、再び瞬間で距離を詰めてくる――身体のバネが並(フツー)じゃない、こんな攻撃を受けたのは初めてだ!

 瞬撃を、きわどいところで裁いて勢いをそらす。

 すると突きの鋭さが仇となったのか、男の体が少し泳いだ。

 その隙をついて身体を入れ替える際、すれ違う瞬間(とき)に男の下から短剣を突き上げる!

「……フン」

「ンな!」

 俺の突き上げるその刃を、男はまるで虫でも払うように素手で払った。死角から来る刃を、だ。

(素手で払うなんて……そんなのアリかよ!)

「命が惜しいと思うなら、消えろ」

 驚愕する俺とは裏腹に、男は抑揚のない声で言いつつ刃をきらめかせる。あわてて離れる俺を追って、男はさらに踏み込んできた。

 今度は胸を狙った一撃。ただ、振りが大きい!

(横に避けて、死角から攻撃……!)

「げふッ」

 身体をよじり、刃の走る直線上から身を避ける――避けた直後に突然、右脇腹に大きな衝撃(ショック)がきた!

 身体に食い込むような一撃に、思わず身体を『く』の字に曲げるっ

(む、胸への短剣はフェイント……)

 彼の短剣を持つ腕は伸びきる前に止まり、直後に俺の横腹を男の左足が横から薙(な)いだ。

 まるで細い棒で殴られたような、身体を引き裂くような激痛が反対側まで突き抜ける!

 目の前が真っ白になるような苦痛に、片ヒザが床に落ちた。

《ラウル、前ッ》

 頭にパムの甲高い叫び声が飛び込んできた。顔を上げると、すでに蹴り上げるような動作(モーション)にはいった姿が見えた!

(狙いは―――顔面(ツラ)か!)

 

  ッッばっしゃぁぁぁっ

 

「ぷはっ」

 濡れた床に、背中から落ちる。

 崩れた姿勢で無理に受け止めるより、再び勢いを利用して距離を取るために、受けたまま後ろに跳んだからだ。

(何度も、素直に奇襲食らってたまるかっ)

 横転して、両手をつかって跳ね起きる。朱色の液体で全身ビショ濡れになったが、そんなことを気にしているヒマはない。

 

 ―――なんせ相手は、本気(マジ)だしな……

 

 相手の強さと、それ以上に迷いがない事におもわず舌打った。

 一つ深く息を吐き出しながら左手を上着の中につっこみ、上着の内側に縫い付けたナイフを指先で確認する。

(まともにやっていたんじゃ、勝てないかもな。幸い、狙い通りにある程度の距離を取れた。ここでハッキリ仕切りなおさないと)

 だからといって、いい奇策がそう簡単に浮かぶわけでもない。

 他の武器、例えば長剣に持ち替えようにも、ここは周囲のカプセルが邪魔で長い刃を振リまわす広さがない。

 ふところのナイフを投げるにしても、離れた位置からじゃ無駄だ。

 なんせ相手は至近距離の剣撃を、素手であしらえるような奴だ。

「もう一度だけ訊く。お前の産まれた場所はどこだ?」

「断る! 大体なんでそんなことを訊くんだ!」

「答えぬなら、答える理由はない」

 感情が言葉に出してしまう俺とは対照的に、男は淡々とした口調で言って、右手を懐に入れた。

 俺が左腕で、奴は右腕――この瞬間、俺達はまるで鏡に写したように姿が重なった。

 

 ―――何が、くる?

 

 懐に入るほどだから、大きなものじゃない。

 ナイフか、投げ矢(ダーツ)か?

 手加減は無駄と、言い切ったくらいだ。

(小傷程度でも死にいたるような、致死性の毒くらい塗っているかもしれない……)

 警戒する俺の前で、男の腕がゆっくりと動いた。

 思わず左腕に力が入る。だが、こっちが握っているのはただのナイフだ。

 もしも当てる事が出来たとしても、一撃必倒には程遠い。

 本気で消す気になっている奴を相手に、コイツで勝負する気にはなれない。

 だからと言って、このままにらみ合っていても事態は変わらない……

(どうする?)

 この状況を打開する手段を見つけきれず悩んでいる間に、男の腕が先に動いた。

 彼が懐から出した物、それはなにか黒い塊のようだ。

 よく見れば折れ曲がった鉄の棒のようにも見える。

 それを手にしたまま、まるで俺に差し出すかのようにまっすぐに腕を伸ばした。

 黒い筒――よく見ると先端には穴が空いていた――が、まっかすぐに俺の方を向く。

 よく磨かれているのか、それは金属特有の輝きを持っていた。

 

 ―――どこかで、同じようなものを見たことがあるような……!

 

 ふと既視感(デジャヴ)を感じた……と同時に、俺の頭の中で『危険』と書かれた警鐘(かね)がけたたましく鳴り響いた。

 その直後―――

 

 ぱんっ

 

 乾いた音を立てて一瞬、男の手の内が閃(ひらめ)く。だがそれを知覚するよりも早く、左肩で何かが弾けたッ

「ッ―――!」

 衝撃を受けた一点に―――さっきの蹴りとは比較にならない激痛がか走り抜ける!

 俺は絶叫して―――いや、その声を出せたかどうかもわからないまま、冷たい床でのたうちまわったッ

《……ッ ………!》

 パムの声だろうか、いつも嫌になるくらいハッキリと頭に響く声が、やけに遠く感じられた。

 まるですごい速度で遠ざかっていくような、地中の奥底へ落ちているような、奇妙な感覚が俺を包んでいる。

 身体は床に倒れているはずなのに、その落ちていくような感覚は止まらない。

 ―――急速に視界が白んでいく…

「いたぶる気はない」

 淡々とした声が、細く聞こえる。

 でもそれがどういう意味を持つのか、聞き分けるのは億劫だった。

 俺という意識は、もう身体から落ちてしまったのかもしれない。

 すべてがひどく遠く感じられる…・…

(死にゆく瞬間(とき)てのは、こんなものかもしれない)

 ふと、そんな考えが脳裏をよぎった。

 ずっとずっと落ちていけば、『死』という底にたどり着くのだろうか?

 

 ―――だとすれば俺は、死ぬまでこのまま落ちつづけるのか

 

 そんなことを思う間に、俺の周りは真っ白に染まっていた。

 前も後ろも、わからない。

 まるで、風が吹いていない吹雪の中に一人だけ取り残されたように。

 手をのばしても、触る物はなにもない。

 足を動かしても、蹴ることのできる大地がない。

 

(なにを、することも、できない………か)

 

 上を、見た。

 周りとなにも変わらない、ただ白いばかり。

 もう、帰ることも出来ない。

 前を見ても後ろを見ても、右も左も上も、下を見ても真っ白。

 歩いても進んでいるのかわからないのに、いったいどうやって帰ればいいのだろう?

(俺の旅もここで終わるのか)

 ここで死ぬ―――そう思ったとたん、脳裏に女性の顔がかすめた。

 年若い女性の、ガラス越しに見る寝顔……

 

 ―――母さん、ごめん

 

 俺の母親は、俺が物心ついたときには、もう眠りつづけていた。

 身体を蝕む病のせいだと、親父は言っていた。薬草とか、薬では治せない病だと。

 だから親父はずっと治療法を探していた。俺もガキのころから親父と一緒に、母さんの治療方法をずっと探しつづけてきた。

 失われた前時代、あらゆるものを超越した『鉄と岩の時代』の遺産にそれがあると信じて。

 なのに、それを知る可能性(ロビン)を目の前にして、こんなことになってしまった。

(ついに母さんの笑顔を見ること、出来なかったな……)

 母さんの次に浮かんできたのは、怒っている親父の顔だった。

 数年前に流行り病で寝込むまで、ずっと世界を旅して母さんの治療法を探していた。

(親父が倒れた以上、俺しかいなかったのにな。ワリィな……親父)

 浮かんできたのは、両親だけじゃなかった。次第にタクアやアリアさん、あのアムルって娘の顔も浮かんできた。

 みんな、怒っているように見えた。

 

 ―――生きていれば、まだ他の望みもあったのに

 

 そんな声が聞こえてきそうで、たまらなくなって上を見あげた。

(もしかしたら、戻るためのなにかがあるかもしれない―――)

 そんな甘い期待は、簡単に打ち消された。

 上に広がるのは、なにもない、空虚な白い空間かりだ。

 ただ、白い壁の向こうに、小さな笑顔が一つ見えたような気がした。少しかすれた思い出の中に、いつもでてくる笑顔だ。

(あの娘も、怒るかな。約束、守れなくなったこと……)

 自然と、胸に手を当てていた。薄汚れた服越しに、小さな丸い感触がしっかりと伝わってくる。

 

 ―――あそこで俺も彼女達と一緒に脱出していれば、こんなことにはならなかったんだ。

 

 せっかく、手をのばせば届くところまで来て………人に預けて、自分の夢を追いかけてしまった。

 その結果がコレだ。

 

 (お前、馬鹿だな)

 

 タクアの別れ際の声に、思わず苦笑いした。

 ……確かに馬鹿だったかもしれない。

(過信していたんだな、自分の力)

 出来ると信じて、その結果こんなところにいる。

 過信以外、なにものでもない結果だ。

 このまま死の世界まで落ちていくのなら、もうなにも出来ない。

 なにも、かなえられない。

 せめて周りが見えれば、現実に帰る事が出来れば、なにがなんでも生きて地上に戻るのに―――

 

 《まだ間に合うよ!》

 

 ――え?

 いまたしかに声がしたような……

 

《きっとまだ間に合うよっ》

 でも、許して……くれるかな?

 

 まただ。

 また、声が聞こえた。

 二つの声、女の子の声が確かに聞こえた。とっさに後ろを振り返ってみた。しかし誰もいない、なにもない。

 

 《怒られるかもしれない》

 ……怒られるのは、嫌だよ。

 

 聞こえてくる声に耳を傾けて、彼女達の姿を探してみる。

 けれどあたりは真っ白いばかりで、なにも見えない。

 まるで白い闇の中のように。

 

 《それでも、さびしがられるよりはいいんじゃない?》

 ………

 《怒られるのは一瞬だけど、あなたのためにさびしい思いをするのは、一生続くのかもしれない》

 聞こえ来る声は、一人がもう一人を、なにか説得しているように思える。

 二人がすぐそばにいるような気がして、何度も前や後ろを振り向いてみたが、どこにも人影はなかった。

 両手を振り回してみても、なにも触れることができない。

 

 《そしてあなたの後悔も、一生続くのかもしれない》

 でも! ……あたしが目を開けた時に、もしも居なかったら

 《自分を偽らないで。自分を偽っても、それは後悔を背負い続けることになるよ》

 あたしは………

 《自分に素直になろうよ。振り返ったときに、後悔しないように》

 

「後悔しないように、か……」

《後悔してる?》

 唐突だった。

 さっきまでどこからともなく聞こえてきた『声』が、すぐ背後でしたのだ。

 慌てて振り向いて見ると、少し離れたところに子供が立っていた。

 おそらく十歳くらいの、女の子だろう。

 つばの広い麦藁帽子を深くかぶっているせいで顔は見えないけど、黄色いワンピースを着た女の子。

 その子がいったい、いつ現われたのか?

 俺はまるで気づかなかった。

 

《おにいちゃん、おむかえにはきてくれないの?》

 

 その少女の声を、俺は知っているような気がした。

 だが『誰』なのかは、なぜか思い出せない。まるでこの世界のように、俺の頭の中が真っ白になってしまったかのように。

《おにいちゃんには、見える?》

 女の子は俺の背後を指した。振り向いてみると、なにもなかったハズのそこにも一人の少女の姿があった。

 少女と言っても声をかけてきた幼い子とは違う、子供と大人の狭間の年頃。

 俺と同じくらいの年頃の、若い女性(ひと)だ。彼女は俺と少女から少し離れた所で、眠るように横たわっていた。

「器用な娘だな」

 なにもないところに横たわる女性の姿に、少し驚いた。

 でもちょっと考えてみれば、自分も『なにもないところに立っている』ということを思い出した。

(なんだ、俺も同じゃないか)

 思わず苦笑した途端、俺の周囲に風が流れたような気がした。

《ねぇ、おにいちゃん》

「なんだい?」

 自分の表情(かお)が『微笑んでいる』のがわかる。不思議と、この子には笑顔で話すのが当然のような気がしていた。

《あのおねえちゃん、後悔しているの》

「後悔?」

《間違ってたことを直したいの。やり直したいの。でも怒られるのが怖いの。

 おにいちゃんはおねえちゃんのことを許してあげられる?》

「あの娘のことを許してあげる?」

 不思議な話だ……と思った。

 俺は、あの少女とは間違いなく一度も話しをしたことがない――少なくとも記憶にはないと思った。

 その少女が後悔していること、怒られるかもしれないことを、俺が許せるかどうかをこの子は訊いている。

 普通に考えれば、俺にわかるはずがない。なにをどう許せばいいのか。それもわからないのだから。

 でも不思議と、いまの俺は迷わなかった。

 訊かれたときには、もう答えがわかっていたような気がする。

「きみは、ボクを許してくれるかい?」

 俺がそう訊くと少しキョトンとした表情を見せてから―――

《……プッ あははははははっ》

―――と、吹き出すように大声で笑い出した。

 笑って、笑って、もう一つ笑って―――

 いったいなにがそこまで面白かったのかがわからなくて、戸惑う俺をよそに女の子は苦しくて咳き込むまで笑いつづけていた。

《けほっけほっ……ふぅ、あ〜苦しかった♪》

「そんな咳き込むまで笑うからだよ」

 一体どれくらい笑っていただろう?

 とても長かったような気がする。

 五分? 十分?

 ひょっとしたら、もっと長くかもしれない。

(ただ白いばかりのこの世界にいると、時間の流れもわからなくなってしまうな……)

 思わず苦笑する俺に、手が差し出された。

 ここにきて最初に俺の手を握った幼い手とは違う。

 成長した手だ。

 顔を上げると、幼い女の子の姿はなかった。そして眠っていたはずの娘が、少しおびえたような顔でそこに立っていた。

 腰あたりまでのびた髪がフワリと広がって、美しく輝いている。

 ―――綺麗だ

 ふと、そんなことを思った。

 そして俺は差し出されたまま待つ手を、軽く握り締める。

「一緒に戻ろう」

 俺は初めて声をかけたはずだけど―――ボクはこの娘を知っていた。

 少女が少し戸惑うようにして、握る手を見下ろす。

 一呼吸、二呼吸ほどしてから上げたこの娘の顔は、どこか安心した笑顔になっていた。

 その顔を俺は知らないが、ボクは知っている笑顔だった。

『帰ろう、一緒に』

 少女の声と同時に、身体がフワリと浮いた感じがして―――光に包まれた。

 

 

 ずずんっ!

 

 いきなり大きな爆音が聞こえた。

 遅れて遺跡全体を揺らすような大きな振動のなか、俺はまるで放り投げられたように床に転がされたッ

「ッ―――つぅ……まったく、床ってのは固いな」

 床に左肩を打ち付けて、再び激痛が走った!

 だが、痛みのおかげでむしろ意識はハッキリとしたようだ。

《大丈夫? アタシの声、聞こえる?!》

「パムか? 大声出すなよ、聞こえているから」

《ラウル!よかったぁ〜〜、さっきからあたしが呼んでも叫んでも、なにも返事しないから心配したんだよッ》

「……それ、どれくらいの間のことだ?」

《え? 十数秒……くらいだけど?》

「そうか」

 パムに返事をしながらあたりを見てみても、なぜかガレキが積みあがっているだけで俺達以外には人影一つなかった。

《どうかしたの?》

「ン……誰かと、会っていたような気がしたんだけどな」

《誰かって……誰もいないよ?》

「それは、そうなんだけどな……」

 少し頭がボゥ…とするような気がして、軽く左右に振ってみる。

《大丈夫? 落ちたときに頭を打ったのかな?》

「落ちたって?」

《上、見て》

 それだけ言うと、パムは天井(うえ)を見あえげた。俺も天井を見ると――そこに天井がなかった。

 正確に言うと天井はあるのだが、かなり上の方だ。軽く三階、いや五階分くらいがまるで吹き抜けのようになっていた。

「……いったいどうなってるんだ?」

《あたしもラウルの胸元にいたから詳しくはわからないけど、

 何度も大きな爆発があったみたいで、大きな地震みたいなのが起きて、床が落っこちちゃったんだよ。ボトボトボト〜ッて》

「ウソだろ……」

《ウソ付くならもう少しマシなの考えるよ、ラウルじゃあるまいし》

「おい、さりげなく酷いこと言ってないか?」

《気のせい》

 サッとそっぽを向くパムに呆れながら、周囲を見てみる。あたりには見渡す限り瓦礫の山が積みあがっていた。

 どうやらウソではないらしい。

「そうだ、あの男はどうしたッ?」

《ラウルが戦ってた、あの人?》

「そう、あの男。あと、あの赤毛の子」

《わかんない。落ちる前に逃げたかもしれないし、ひょっとしたら……》

 パムが言葉を切って、ガレキのほうを見た。積みあがったガレキの所々が紅く染まっている。理由は、簡単に想像できた。

「……これだけの崩落の中で、よく無事だったな俺たち」

《そこはやっぱりこの妖精・パムちゃんのおかげ♪》

「不幸中の幸い――って言葉、知ってるか?」

《なに、それ???》

「不幸ばかりの中にあるホンの一つの幸せは、とても大きく見えるってことだ」

《??? だから、それはあたしのおかげでしょ?》

「ああ、きっと全部パムのおかげかもな」

《……なんか、誉められている気がしないよ?》

「きっと気のせいだ、深く考えるなよ」

 首をかしげるパムに苦笑しながら、もう一度あたりに目を向けた。

 見える限り、あの男の姿はない。そしてあの赤毛の少女(ロビン)の姿もなかった。そのあたりに積みあがった瓦礫を掘り返せば、ひょっとすると出てくるかもし
れない。だがもうその命を救うことは、無理だろう。

《とりあえず早く逃げようよ》

「逃げる?なにからさ」

《忘れたの? ここはもうすぐ――》

 ズズゥゥゥゥン……

 まるでパムの声をさえぎるようなタイミングで、爆音が空気を振るわせて響いてきた。

 一瞬(ワンテンポ)遅れて足の裏にもそれなりに大きな振動が伝わってくる。

「そうか、金髪の女性(ハルカ)が言ってたったけな、時間制限(タイムリミット)がどうとか」

 ドドドドドドドドドドドドッ

 足の裏に響く振動は次第に大きく、何かを恐れているかのように大きく震えている。

 同時に俺の耳には、今もっとも来て欲しくないモノの足音がハッキリと聞こえてきていた。

「いや、正確には足音じゃないな」

《足なんてないもの。そもそも生き物じゃないし》

「パム、お前、泳ぎは?」

《あたし、もともと水の中でも苦しくないから》

「ズルいぞ、それ」

《知らないもん、生まれつきだから。それよりラウルは?》

「泳げるぞ――だが、激流の中を泳いだり、滝を泳いで登ったことはないなぁ」

 ボウ然と立ち尽くす俺の前――積みあがった瓦礫の向こうに大きな波が、押し寄せる水が見える。

 瓦礫の堤防を乗り越えてくるのは、時間の問題のようだ。

「地上(うえ)まで、泳ぐしかないのか……」

《滝よりはマシだよ……きっと》

「フォローする気があるなら、もうちょっとマシなこと言ってくれよな……」

 瓦礫に打ち寄せる水の轟く音を聞きながら、俺は苦笑して見えない地上を見上げた――

 ..........to be continued...........
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「麦藁帽子の下で……」 第十五章 ☆ 過去を刈る

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