THE REAL WORLD  Second Season 「麦藁帽子の下で……」
[ 第十六章 ☆ 麦藁帽子の下で]



  ミィ〜ン ミ〜〜ン ミィ〜……

    ジジジジジジジ……

 大合唱を奏でるうるさいセミの声が、森の中に響き渡る。

 見上げれば何枚もの木の葉が作る濃緑色の天井、そのわずかな隙間を貫き通した夏の日差しが森の下草達に降り注いでいた。

「セミの鳴き声を聞いているだけでも、暑く感じるな……」

 短い袖から出た筋肉質の腕で、青年は額の汗をぬぐい払った。

 銀色の髪が、木漏れ日を浴びて美しく輝く。

 タクアは一人、森の中を歩いていた。

 丘の斜面にある森の中で、彼は上へと木々の合間をぬうように登っていく。

 森に響く水音に目を右に向けると、岩壁から水が吹き出る小滝が見えた。

 もっとも最近は急に水量が増えて、小滝というよりも立派な『滝』といった感じだが。

「まったく、なんでこんなに暑いのだろうな。ついこの間までは、まだ肌寒い春先だったというのに」

 薄暗い森の中でもこれだけ暑いと、日差しの下に出たらいったいどれほどの暑さになるか……

 考えただけでウンザリしながら、彼はより空に近いところ――丘の頂上をめざして足を進めていく。

 何度かグチのようなことを言っていると、突然、肌を焼くような強い日差しが降り注いできた。

 森を抜けたのだ。

 頂上にはまるでそこだけ森をくりぬいたかのように、小さな草原があった。

 その草原の真ん中に、大きな岩が立っている。その大岩には一つの扉が埋め込まれていた。

 古代文明の遺産、遺跡への入り口。
 
 現在と過去を分ける壁――過去に『時の贄』と呼ばれる生贄と引き換えに、村の平穏を守る厄災の扉。

「……今日も姿なしか」

 彼があたりを一瞥したが、岩以外には特に目立つものはない。

 暑苦しい日差しと、時折吹くそよ風が心地イイだけだ。

「ったく、ラウルのやろう……オレが地上に帰ってきてもう三日、連れ帰ったお姫様は眠りっぱなしなんだぞ」

 ―――と言ったところで無駄か。オレが文句の一つも言いたい相手は、まだこの扉の向こう。しかも地中深くにいるだろうし。

 口に出したところで、その声が奴に届くはずもない。

 それでも言わずにはおれないような事が、彼にはたくさんあった。

「お前と一緒にこの扉をくぐって、中にいたのはわずか二日たらず。そのはずなのに出てきてみれば、外はもうすっかり夏だ。
 驚いたぞ、俺たちがリムを追って遺跡にもぐったのはまだ春先だったのに」

 こういう形で昔から『時の贄』と言われつづけた理由を、この身に体験するとは思わなかった。

 まさか時の流れが、地上(そと)とまるで違うなんてな。
?
 お前はこの時差を知っているのか?

 三日で三月――いや、それ以上に時の流れに差があるんだぞ。

 そこでのんびりしていると、約束の日なんてアッという間に過ぎてしまうぞ。

「ラウル、早く帰れ―――棚ボタの恋を狙うために、お前を連れてきたわけじゃないんだぞ」

「ハハァ、なるほど。タクアはそう思いつづけて、そこまで強くなったわけだ?」

 女性の声が聞こえた。だが彼が見渡せる中に、それらしい姿は見えない。それでも、彼の表情(かお)は平然としていた。

「そうやって姿を見せない、顔を見せないままで話しかけてくるのは、あまり礼儀正しい事とは思えないけどな。
 それがあなたの趣味なのか、ハルカ?」

「あら、バレてた?」

 彼のすぐ後ろ、緑の天井の中から人影が一つ落ちてきた。

 それも彼が手を伸ばせばその身体に触れることが出来るような、すぐそばに。

「木の上で気配を消して待つような、独特な趣味の女性は、あいにく一人しか知らなくてね」

「言ってくれるじゃない」

 ハルカが軽く身を振ると、輝く金髪から水しぶきが舞った。よく見ると衣類まで全身ビショ濡れだ。

「滝の水でも浴びていたのか?」

「違うわ、ちょっと泳いできたのよ」

「……は?」

 聞きなれない一言に、タクアの目が一瞬、点になった。

 ―――ことわっておくが、ここは森の中であり、その森は丘という斜面にある。人が泳げるほど大きな川はこの森にはない。

「一体どこで……」

「それより、ラウルってコは?」

「……まだ帰っていない。オレよりもあなたのほうが知っているんじゃないのか? 
 あなたがここにいるということは、中のことは終わったのだろう?」

「ええ、中で起きていたことは一通り終わったわ――彼(ラウル)には感謝しているわ。
 彼が『奴(ガフ)』を足止めしてくれたおかげで、私は『彼女(ロビン)』を失わずにすんだもの」

 彼女は満面の笑みを見せた。ぬれた髪が降り注ぐ日差しを浴びて美しく輝く。

「……それで、ラウルは?」

「わからない。彼とは二手に分かれてからは、会っていないし」

「まだ中に?」

「居るかもしれないし、もう外に出ているかもしれない。
 ―――ただ、もしもまだ中に残っているなら、帰って来れらるかどうか」

「どういう意味だ?」

「私はついさっき、中から出てきたばかりよ。遺跡の中は水浸り―――水いっぱいの水槽も同然よ。当然、中にいたらおぼれてしまうわね」

 夏の日差しの中で半乾きになった髪と、まだ水の滴っている彼女の衣類が、その言葉を裏付けているように見えた。

「……本気で言っているのか?」

「残念だけど、冗談は得意じゃないの。彼がまだ現われていないのなら―――不幸の可能性もゼロではないことになる」

「………」

 なんの可能性かは、訊くまでもない。
 
 ジジジジジ………

   ミィ〜ン、ミィ〜ンミ〜ンミィ〜〜・………
 
 二人が口を閉ざすと、しばらくの間、森の中はセミの鳴き声に支配された。

 彼に、まるで束縛するように重い空気がまとわりついてきた。暑い夏の陽射しの中、そこだけが陰っているかのようにすら感じられる。

 しかしそれは意外に簡単に、三人目の訪問者によって取り除かれた。

「タクアさん!」

……なんだ、誰かと思ったら、アムルか」

「あ………取り込み中…ですか?」

 ハルカの存在に気付いた少女が、少し戸惑うような表情を見せる。

 額を流れる汗が、少女がここまで急いできたことを語っていた。

「いや、たいしたことは、ない」

「人の来る事のない森の中で男と女が密会……ひょっとして、修羅場?」

「違うッちがうッ断じて違う!」

「なにもそんなに思いっきり否定しなくてもいいじゃない?」

「そうですよ、綺麗な女性(ひと)じゃないですか」

「そういう問題じゃないだろっ そ、そんなことより急いでいたんじゃないのか?」

「あ、そうでした。へんな旅人が二人みえてるんです。この間タクアさんが連れてきた男の人に会わせろって、
 お店(やど)のほうで騒いでいるんです。それで―――」

「ラウルに?
 あいつがここにきたことを知ってる者が、そうそういるとは思えないのだけどな……」

 言いながらタクアはハルカを見た。その視線に気付いた彼女は、

『私も知らないわよ』

と、肩をすくめて見せる。

「仕方ない…わかった。オレが会ってみるよ。ハルカ、いま手が空いているならラウルが来ないか見ててくれ。
 来たら生きてようが死んでようが、村まで連れてきてくれ。頼むっ」

 それだけ言い残すと、タクアは彼女の返事も聞かずに駆け出した。

「あ、もぅ……待って、私も戻りますっ。あの、せっかくのところをお邪魔してしまって、すみませんでした」

 彼を呼びにきた少女も、ハルカに軽く会釈するとタクアを追ってパタパタと走り去っていく。

 森の木々の中へ消えていく二人の背中を、ハルカはほんの少しだけ笑みを浮かべて見送っていた。

「……大丈夫よ。彼がそう簡単に死ぬわけがないんだから」
?
           ☆☆
?
「ところでお客は、いまどこにいるんだ?」

 とりあえず急いで若葉亭まで戻ってきたものの、食堂には誰もいなかった。

 耳をすましてみても、特に気になるような声は聞こえない。

「わ、私がでる時にハァハァ、アリアさんがリムちゃんの部屋に案内すると言ってハァハァましたけどッ」

 リムの部屋に?なんで彼女のところなんだ?

「アリアさんがハァハァ彼のことなら、うちの娘にも無関係ではないでハァハァしょうから…って言っていましたけど……ケホッケホッ」

「わかった、アムルは食堂(ここ)でちょっと休んでいてくれ、先に会ってくる」

「ハァハァ、私も、行きます……」

「とりあえず呼吸を落ち着かせてからにしたほうがいいぞ。あとでお茶でも持ってきてくれよ」

 普段から鍛えている彼と違って、全力で駆けて来たせいで咳き込む少女を残して階段を駆け上がる。

 いつくも並ぶ扉の一番奥、その中にいるはずだ。

「アリアさん、お客がきているって聞いてきたんですが………」

「ラウルッ?今度こそ逃がさないわよ!」

「わっ!」

 扉を開けた途端、いきなり真っ白い塊のような物が彼に襲い掛かってきた。

 ほとんど反射的に、飛び出してきた『白い塊』を半歩、身体をずらすことで避ける。

 身体を入れ替える形で部屋の中にはいり、腰を落して身構え―――る、その前に、後ろから羽交い絞めにされてしまった。

「あれぇ? シーラお嬢様、この方はラウル様じゃないですよぉ」

 タクアがその背後からの手を振りほどくよりも先に、なんとも場違いなほど間延びした声が聞こえてきた。

「お嬢様?」

 扉を開けるなり飛びかかって来た『白い塊』をよく見ると、それは真っ白な翼だった。

 その白い翼と、背を覆うように長い紫色の髪には、おぼえがあるような……
?
 この女性、たしか―――
?
「ひょっとして、あの時にラウルと一緒にいた女性(ひと)達か?」

「そうですぅ」

 飛び出した先の廊下で、壁に打ちつけたらしい。

 両手で頭を抱えてうずくまっている『翼人の女性』に代わって、背後から返事が帰ってきた。

 羽交い絞めしていた腕も解いてくれたので、振り向いてみると長い兎耳があった。

 たしかに、この彼女にもおぼえがある。

「キミは確か、ウェイトレスに間違われていた――」

「フィーですゥ。そしてあちらが、私がつかえる『ラウル様追っかけて三千厘』のシーラお嬢様です」
 
 ……は?

 三千……厘??

「実際にはまだ三千厘も歩いていないんですけどねぇ〜」

「ハァ……ご苦労さまですね」

「タクア君」

 今度は聞きなれた大人の女性の声だ。わざわざ振り向かなくても誰かわかった。

「この娘達、ラウル君を追ってここまで来たらしいのよ」

「ええ知っています、アリアさん。彼女達とは、アイツを見つけたときに一度会っていますから」

 この宿の主でもあるアリアさんはベッドに座っていた。

 そのベッドに寝ているのは、いまさら言うまでもないだろう――彼が連れ帰った『眠り姫(リムア)』だ。

 彼女はお気に入りの黄色いパジャマ姿で眠っていた。タクアが彼女を連れ帰ってから、まだ一度も目を覚ましていないハズだ。

「アイタタタ……あ、アナタ、私が彼と大事な話しをしている時に邪魔した男ね?」

 再び聞きなれない声――振り返って見ると『お嬢様』が立ち上がっていた。もっとも、まだ痛むらしく、片手は頭の上に載せたままで。

「あのときはよくも置き去りにしてくれたわね

「その台詞を言う相手はオレじゃないだろ?」

 ラウルをこの村にひきずって来たのはオレだが、彼女達のことを放っておいたまま出発しようと言ったのはラウルの奴だ。

 なのになんでオレが非難されなきゃならないんだ?

 まったく……

「さっさと彼の居場所を教えなさいよッ」

「それは………」

 『お嬢様』に苦笑していたオレも、彼女の言葉に『問題』を思い出した。

 一縷の望みをこめて、この宿の主を一瞥してみたが、アリアさんはやはり首を横に振る。

 つまりこっちにも『彼』(ラウル)はまだ姿を見せていないらしい。

「アイツなら……下だよ」

「した? 一階(しょくどう)に来ているの?」

「いや、もっと下だ」

「地下?」

「そう。それもオレたちが想像もできないような、ずっと奥深くだ」

「冗談を聞いているヒマは持ち合わせていないわ!」

「それが事実なんだ。あいつの仕事は知っているだろ?」

「知らないわけないじゃない、『なんでも屋』に決―――」

「なんでも屋さんをやりながら、世界中の遺跡を巡っていらっしゃるんですよねぇ?」

「……そうだったっけ?」
「そうですよぉ……いくら前回の更新から間があいたからってぇ、設定まで忘れないでください〜」

「親子二代続けて遺跡めぐりをしているはずだ、あいつは。そして、この村にはその『遺跡』がある。
 ―――いや、遺跡じゃないな。なんせその遺跡はまだ生きているんだ」

「生きて?」

「ああ、活動し(いき)ている。そしてこの村の永遠の存続を引き換えに、数十年に一度『時の贄』を求めてくる」

「……なにそれ?」

「ようするに生贄だ」

「本当に?……時代錯誤(アナクロ)よ、正気じゃないわ。これだから田舎の村って嫌なのよ。大体そういうのは迷信でしょ?」

 あきれた顔を見せる彼女に、タクアが首を横に振った。

「それが、そうでもないんだ。この村の歴史をひも解くと―――」

「別にそんなの聞きたくもないわよ。それで、その時のなんとかって、人の命ささげたりして今でもやっているわけ?」

「ああ、やっている。けどな『時の贄』ってやつは確かに生きた人をささげるが、命を失うわけではないんだ」

「え? じゃあなにをささげるわけよ」

「……文字通り、時間だ」

「時間?」

「時の贄としてその身をささげたやつは、いずれ帰ってくる」

「なによ、別に何も失うものはないんどゃないの?」

「…帰ってくるのは数十年後だ。早くて十年、長いと人としての半生にあたるほど長い時間を、生贄としてささげることになる。
 そしてその者は、何事もなかったように戻ってくる」

「ふぅん……もしもいま私がその生贄になったら、でてくるときにはもうこの美しさがなくなっているわけね。
 この美貌がなくなるなんて……人類最大級の損失ね」

「違う、お前は(激しく)勘違いしている」

「私が美しくないっていうわけ?!」

「ちがう、そこじゃない! 言ったろ、生贄になったものは何事もなかったように戻ってくると」

「………数十年後でしょ?」

「数十年後だ。だが生贄になったやつは入って行った時の、そのままの姿で出てくる。少女は少女のままで、少年は少年のままで」

「それは不思議ですねぇ〜…」

「でも、別に歳もとらないならなにも悲観することはないんじゃない? なんなら私が代わりをしてあげてもいいくらいよ」

「わかってないな。たしかに、生贄になった者は年をとることはない――それだけ聞けばなにも問題がないように思えるかもしれない。
 だが外にいる我々は半生を別れたまま過ごすんだ。最悪の場合、生贄となった者が出てきたときには肉親や知人たちはこの世にいない。
 時をささげるとは、そういう別れを覚悟させられるんだ」

「……なるほどですねェ…」

「いったいどうなっているの??」

「オレにわかるはずがない。どういう仕組みになっているのか、中に入ってもサッパリわからなかった」

 無機質な空間

 立ち並ぶカプセル

 その中に浮かぶ無数の人々の姿……

 一体あそこでなにがどうなっているのか、なにが起きているのか。

 彼の言うとおり、タクアにはまるで想像もつかなかった。

「中に入った? あなたが生贄になったの?」

「なるつもりだった。だが、オレがいない間に彼女が、はいってしまった」

 彼が言葉を切ってベッドを一瞥すると、彼女達もわかったようだ。

「あなたとラウルは、あの娘を助けるために、追って中に入ったというわけね」

「でもぉ、そのお嬢さんがココにいるっていうことはぁ、もうラウル様も戻っていらしているんじゃないんですか?」

「リムを助けたのは、確かにラウルだ。だが、ココまで連れてきたのはオレだ―――ラウルはわけあって遺跡の中に残った」

「………でも、目的を果たしたら、ラウルもすぐに戻ってくるんでしょ?」

「それは、どうかな……ついでだから、もう一つ教えておくけどな。オレが前にあんた達と初めて会ったのはいつ頃だった?」

「いつって……春先頃よ。この村にいることを調べるのに二ヶ月はかかってしまったわ」

「オレには、ほんの半月もたっていない」

「―――え?」

「いったいどういうことですかぁ?」

「オレとラウルが、リムを追って『時の贄』をささげる遺跡に潜ったのは、春先のことだった。
 そして遺跡の中に二日、三日ほどいただろうか?出てきてみたら、もう夏だ―――意味がわかるか?」

「………え〜と、つまり…」

「それは、時をとられたわけですか?」

「どう解釈すれば正しいのか、オレにはわからないが……ハッキリしていることは、中に一日いれば、外では一月以上もの時間が流れていた、 ということ。そしてきっとラウルはその事を、知らないだろう」

「つまりは、いつ帰ってくるかがわからないわけ?」

「一日で、一月だからな……いつ帰ってくるか、想像もつかない」

「………」

「じゃ、じゃあ、ラウル様が戻られたときには、シーラお嬢様はもうよぼよぼのおばあさんと言うこともあるんですかァ?」

 迷わずうなずく彼に、二人はかなりにショックを受けたようだ。特に翼の彼女はうつむいてしまった。

 ―――この上にもう一つの現実を言うのは、酷過ぎるかもしれない。

 もしかしたら、ラウルが戻ってくることはないかもしれないなんて。



「大………丈夫」


 ん?

 はじめ誰が言ったのかわからなくて、その場にいた全員がそれぞれ顔を見合わせた。

 そのすべての顔が『私じゃないよ』と物語っていた。

「大…丈夫。ラウル君……生きているよ」

「リム

 気が付けば、それまで目覚めることがないかのように眠りつづけていた少女が、ベッドの上でその身体を起こしていた。

「あたし、会ったから…」


?
           ☆☆☆


?
 あたしは真っ暗なところにいた。

 何も見えない―――

 何も触れない―――

 何も聞こえない―――

 真っ暗な、何もない空間―――だと思ってた。

 だって、ここはリム(あたし)が悩み閉じこもった、『あたし』の中の世界。

 ここに『リム(あたし)』以外の人がいるはずがない、あるはずがない。

 誰も入ってくれるはずがない―――
?
 『……プッ あははははははっ』
?
 突然、笑い声が聞こえて……振り返って見ると、男の人がいた。

 戸惑うような、呆れるような表情をして、あたしを笑っていた。
?
 なぜ彼がここにいるのか、あたしにはわからなかった。

 だって……ここに『あたし』以外の人がいるはずがないのに。

 いるはずがないのに……どうしてあの少年(かれ)がいるの?
 
 ―――彼は、ひょっとしたら『あたし』の罪悪感が生んだものかもしれない
 
 そう思った。

 彼が少年に見えたから。

 それも、あたしの知る少年に見えたから。

 彼が『あたし』を笑いにきたんだと思った。

 逃げ出した『あたし』を笑ってもらうために、彼の幻想を生み出したんだと思ったの。

 だって、『あたし』は約束を守れなかったから。
?
「あたしが大人になるまでに、帰ってきてくれるって、言ってくれて……」

「あのころからずっと、大人になる日を楽しみにしてた」

「少しでもお母さんみたいになろうって、いっぱい努力して…」
?
 なのに、あたしはその日が近づくに連れて、だんだん怖くなっていってた。
?
 もしも来てくれなかったら?

 あたしの暖めてきたもの、そのすべてが壊れてしまいそうで、怖かった。

 そんなことがあるかもしれないなんて、それまで考えたこともなかったのに。
?
『それで、こんなところに逃げ出しちゃったんだね』
?
 え……だれ?
?
『でも、ラウルは来たよ。あなたとの約束を守って。途中、色々あったけど……アタシが守ってきてあげたよ』
?
 あたしのすぐトナリに、女の子が立っていた。

 黄色いワンピースを着て、麦藁帽子をかぶった女の子。
?
『いつまで後悔しているの?』

『いつまでおびえているの?』

『いつまで、逃げているの?
 ――もうあとは、あなた次第なんだよ?』
?
 女の子は少し非難めいた声で言うと、かぶっていた麦藁帽子を取ってそれをあたしに渡してくれた。

 帽子の下から現われたショートカットの髪はとても艶やかな若草色で、その顔はとても自信に満ち溢れて輝いていた。

 トナリに立っていた女の子は、いまのあたしが失ったものを、しっかりと持っているころの『あたし』だった。
?
『あたしに見とれている場合じゃないヨ、ほら』
?
 『あたし』が指差すほうを見ると、少年に見えた男性(ひと)がどこか遠くを見つめていた。
  
 その横顔は戸惑っているようにも、困惑しているようにも見える。

 ただハッキリしていることは、『彼』があたしを見ていないこと。
?
 あたしを、見て欲しい。その頬に、触れてみたい―――
?
 そう思ったときには、もう体は動いていた。

 一歩を踏み出して、手を伸ばす……

 あたしの手が彼の頬に触れるよりも早く、彼があたしの方を見た。

 彼が一瞬、驚いたような表情を見せた。

「あ………」

 あたしは彼の表情に、思わず身を引きそうになった。

 ――だって、怒られると思ったから。
?
 だけどあたしが動くより先に、彼がその手をそっと握り締めてくれた。

 まるで、逃げようとするあたしを、引き止めてくれているように。

 もうここにいる必要はないんだよ……って、言ってくれるかのように。

『一緒に戻ろう』

 声音は全然ちがうけど、あたしは彼の声を知っていた。

 彼の声に、あたしは安心できた。

 だからやっと、決心できた。

『帰ろう、一緒に』

 彼の声と、あたしの声が重なった。

 同時に身体が軽くなって、浮かび上がるような感覚がきて、そして次第に意識が薄れていくのがわかった。

 だけど怖くはなかった。

 だって、帰るんだから。

 彼と一緒に……
?
?
           ☆☆☆☆


?
「あ、お目覚めになられましたねぇ〜」

 長い兎耳を揺らしてパタパタとフィーが駆け寄った。しかし見知らぬフィーがそばに着ても、リムに驚くような様子はない。

 どこかボーっとした表情のままだ。

「大丈夫…ラウル君、ちゃんと来てくれたんだから……」

「リムッ オレだ、タクアだっ わかるか? 良かった……ひょっとしたら二度と目覚めないのかとおもったぞ」

「………」

 タクアがベッドのわきまで駆け寄り声を上げる。

 しかし彼女はまどろむような半眼で周囲を一瞥すると、その目は彼(タクア)ではなく窓の外に向けられた。

「……あたし、行かなきゃ……」

 リムはつぶやいて、窓に手をかける。そしてゆっくりとした動作で、寝巻き姿のその身を窓からのりだした。

「……えッ?」

「なッ 落ちるぞッ」

 少女の体が半分ほど窓の外に出たところで、タクが慌てて腕をつかんだ。

「タク……手、痛いよ」

「あ、すまない……じゃなくて!」

 その表情と同じように、どこか寝ぼけたような声で非難する彼女。

 その彼女に、多少声を荒げながら、タクアが少女の身体を無理やりベッドの上に引き戻す。

 慌てたせいで力加減がきかなかったのだろう、彼から開放されたリムの腕は少し赤くなっていた。

 その赤くなった腕に、女性の手が添えられた―――彼女の母親の、アリアの手だ。

「リム、なぜ外に行きたいの?」

「……来てくれたから、お迎えに行くの」

「会えたの?」

「ウン……深いところで眠っていたあたしのところに、笑いにきてくれたの」

「笑いに?」

 彼女の言葉に、タクアが首をかしげる。
?
 笑いに来た? ラウル(アイツ)がリムを助けに行った時だろうか?

 ―――もしもあの時、リムに意識があったとしても、笑ってなんかいなかったはずだぞ?
?
 しかしそんなタクの様子などよそに、母親(アリア)はそばの棚から麦藁帽子をひとつ取った。

 そのツバの広い帽子を、娘(リム)の頭にかぶせた。

「それなら帽子をかぶっていきなさい。今日は陽射しが強いから」
?
  ミィ〜〜ン ミィ〜〜〜〜
     ミィンミィン ミィ〜〜〜〜
?
 帽子を我が娘にかぶせると、アリアはそばの窓を大きく開いた。

 夏の風が、夏虫の鳴き声とともに部屋に流れ込んでくる。

 村自体が森の中にあるために独特の湿気の多い風が、母親の腰のあたりまである長い緑髪を揺らした。

「……ありがとう…お母さん」

「お夕飯までには帰ってきてね」

 吹き込む風になびくながい緑髪のとなりを、より色濃い若草のような翠が通り抜けた。窓から飛び出した深い翠が宙に舞った。

 まるで、翠の翼を広げたかのように。

「余計なことかもしませんが……止めなくて良かったのですか? リムの奴、どう見てもまだ半分は眠っているような表情をしていましたよ」

「大丈夫です」

 二階から飛び降り、それでもリムはなんの苦もなく森の奥へと走り出していく。

 翠の髪をなびかせて森の中に消えていくリムの姿を見下ろしながらも、タクアは不安な表情を浮かべている。

 それとは正反対に、母親(アリア)の顔は安堵の表情に満ち溢れていた。

「ちゃんとあの娘は帰ってきますよ」

「……とりあえずオレはリムのあとを追います。まだラウルの奴が戻ってきたかどうか、ハッキリしていませんから」

「私も行くわよ。あの娘がラウルとどういう関係か知らないけど、彼は私が連れて帰るんだから!」


?
              ☆☆☆☆☆


?
 ………
 ……
 …
?
 ―――どこだ、ここは?
?
 見渡す限り、ただ白い空間―――目を覚ました時には、ここにいた。

 前も後ろも、右も左も、上も……足元(した)も真っ白い空間。

 立っているはずなのに、そこに床か地面があるのかすら疑いたくなるような、すべてが白い世界。

「たしか水が押し寄せてきて、それで必死に泳いで………なんでこんなところにいるんだ、俺?」

 正直な話し、なぜここにいるのかわからなかった。

 どうやってきたのか、まるでおぼえていない。

 俺は死にたくない一心で、必死に押し寄せる水に抗っていたはずなのに―――

「ひょっとして俺、死んだのか?」

(死んではいないから安心していいわよ、ラウル)

 聞き覚えのある声が聞こえた。それもすぐそばで、だ。

 なのに、姿が見えない―――

(ウエよ、上)

 言われて仰ぎ見る彼を、女の子が得意そうに笑って見下ろしていた。

 腹部に深々と刃をつきたてられていたはずの、あの女の子が、なにも無いはずの空間に立っている。

「キミは………あの赤毛の娘(ロビン)なのか?」

(そうよ。ン〜、意外に戸惑っているわねぇ。アンタはこういうの、経験あるはずなんだけど。
 あ、さっきも言ったけど、まだ死んでないから心配しなくていいわよ。ちょっとおぼれて気絶しているみたいだけ)

 おぼれて……気絶?

 じゃあいまここにいる俺は、何なんだ?

(肉体の内側。精神とか、心とかいっている、目に見えない部分のあなた自身よ。
 いまの私の『声』は、空気を振動させる音を利用するのではなく、直に心へ伝えているわけ)

「………えっと」

 ようはパムと話しをしているようなもんか?

 そういえばパムはどうしたんだ?

 姿が見えないけど……

(難しく考えることはないわ。あなた達の先祖は、こんなことができるほどすごかったってところね)

「じゃあ、これも遺産の力?」

(そういうこと。あなたに一言、お礼を言っておこうと思ってね)

「お礼?」

(ソ。アンタが頑張ってくれたおかげで私、消えずにすんだわ。ありがとう)

「消えずに?」

(ようは、死ななかった―――助かったってことよ)

「それならそう言ってくれよ、わかりにくいじゃないか」

 ラウルはちょっと苦笑しながら、その心の内では『助かった』と聞いてホッと胸をなでおろした。

「でも、あの状況からよく助かったな?」

(ハルカがね、上手くやってくれたのよ。ラウルが彼を足止めしてくれている間にね)

「君を刺した、黒衣の男?」

(ガフ)

「がふ?」

(彼の名前よ)

「あいつのこと、知っているのか?」

(知っているか?と言われれば、知っているわ。けど詳しいことはハルカの方がよく知っているから、彼女に聞いて。
 ただ、私が確信をもって言えることは、彼はいまも生きているってこと。
 そして近い将来にあなたを……あなたと、あなたのお母さんの存在 を狙うでしょうね)
?
 え?
?
 俺はともかく、なぜ会ったこともない母さんまで?

 なぜ、そんなことがわかるんだ。

(あなたという存在を知ってしまったから、よ)

「俺? あいつの邪魔したことがそんなに憎いなら、俺だけで十分だろ?」

(坊主が憎ければ袈裟まで憎い……なんて言葉もあったけど、彼の理由もそんなに単純ではないの。
 特に、あの部屋を見て本物とは限らないと言えた、あなたの場合は)

「あの部屋?」

(無数の人々が眠る、あの部屋のことよ。あそこに眠る人々がなんなのか、知っているんでしょう?)

 ―――そうか。

 あのカプセルの中で眠る人々は、やっぱりタクアのいう『時の贄』になった人達なんだ。

 ただ……

「やっぱり、本物ではない?」

(本物よ。けれど『本人』ではないわ。ウリ二つ―――けれど別の個体、別人よ)

「つまり、作ったわけだ。まったく同じものを。でも何でそんなことをするんだ?

 なにをするのに必要なんだ、何か企んでいるのか?」

(なにも企んではいないわ。私は、ただ記録を集めつづけていただけ。ここはもしもの時のための保険のようなものだから。)

 保険?

 いったいなんに対する保険なんだ?

(まぁ、詳しいことはまた今度、話してあげるわよ)

「なんだよ、もったいぶらないで―――あだだだだっ?」

 な、なんだ?

 いきなり首が グキッ と力任せに捻られたようなっ!?

(残念だけど、そろそろ時間みたいだから)

「じ、時間?」

 ん?

 んんんっ!

 い、いきなり息が、苦しく、なってきたぞッ?

《このあんぽんたんッ あたしの初めて奪っといて、いつまでも寝ているんじゃないわよっ!!》

「どわっ!」

 突然、あたり一面に大声が鳴り響いた!

 世界が振るえたんじゃないかと思うほどの大声だ。普通なら耳の鼓膜、破れていたかもしれないッ

(お迎えみたいね)

 げっ!

 まだ死んでいなって言っていたのに!

 ――って、まさかこれから死ぬってことか?

(……言っとくけど、『あの世行き』じゃないわよ。あなたの身体を、誰かが起こそうとしているみたい。
 私はあなたが気絶していたからこそ、こうして意識にも割り込んでくることが出来ているけど、それはいわばあなたの夢に私が入り込んでい るようなものだから。あなたの身体がおきてしまえば、夢と同じように霧散してしまうわ)

 なんだ、そういうとか。

 ……ん? 待てよ?

「これが夢みたいなものなら、ひょっとして目が覚めたら忘れるってことか?」

(さぁ、それはあなた次第……かしら?)

「マジかよ……不便だな、夢のなかって。メモを書き残すことすら出来ないじゃないか」

(クスッ 人生なんて、そんなもんよ)

「なあ! あんたの方だけでも忘れる心配がないなら、今度現実(むこう)のほうでももう一度あってくれないか?
 いろいろ聞きたいことがあるんだ」

 あいつ、ガフの事をもっと知りたい。

 俺が狙われるのはともかく、なんで母さんまでなのか。そもそもなんで彼は、こんなことをしているのか?

 それに遺跡にある、あらゆる技術とその使い方……

 とにかく、俺が知らなくてはならないことがまだまだ多すぎる。

(そうね、すぐには無理だろうけど―――いずれね)

「早く頼むよ、なるべく早く」

(あせっちゃ駄目よ。まず、あなたにはやらなきゃいけないことがあるでしょう?)

「やらなくちゃいけないこと?」

(約束を守るために、帰ってきたんじゃなかったの?)

「………あ」

 ひょっとして、お迎えっていうのは―――

(そういうこと。じゃあ、再び会える時に……)

 白い世界が、かすみ……すべてが消える―――
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          ☆☆☆ エンディング ☆☆☆


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 部屋を飛び出した少女(リムア)は、走っていた。

 もっとも生命が活力をおびる初夏。

 森の木々が腕を広げるかのように伸ばす枝に、無数の緑葉を茂らせている。

 その木の葉の作る翠影の中を、少女はひたすらに走っていた。

 見る者によってはまるで迷路のような森の中を、一本のまっすぐな道があるかのように駆け抜けていく。

 そして緑の天井が終わり、夏の陽射しが少女に降り注いぐ―――
 
  ザザザザザザザザッ
 
「…わぁ…ぁ……」

 森を抜けたそこには岩壁が立ち、その壁から水がふき出し滝となっていた。

 夏の強い陽射しを浴びて、滝の水はまるで光の粒のように輝きながら落ちてくる。

 世界中の希望が降り注いでいるような光景に、少女は思わず感嘆の声を上げていた。

 しかし、少女は同時に生まれた疑問に小首をかしげる。

「なんかいつもより滝の水が多いっていうか、勢いがよすぎるみたい?」

 この森の、あの村で育ったリムにとって、この滝は物心ついた時からずっと見てきたものだ。

 そんな彼女の十数年にわたる思い出の中でも、この小滝がこんなに勢いのある様子は、見たことがなかったはず。

 たとえ豪雨の降った翌日でも、こんなに勢いが強くなったことはなかったような気がする。
?
 なのに、なんで今日に限ってこんなに勢いがあるんだろう?
?
「う〜ン…う〜ん………あれっ!
 『扉』まで迎えに行くつもりだったのに、あたしったらなんで滝に来てるのよっ」

 自分のドジに気付いて、麦藁帽子の上から自分の頭を軽く小突きながら身を翻す。急いで丘の頂上(てっぺん)まで走ろうとする。

 ちょうどその瞬間(とき)、彼女の前を『何か』が横切った。

「―――あれ?」

《おねえちゃん、助けて!》

 目の前で声をあげた『何か』は、手のひらサイズの人形……のようなものだった。

 でも、なんとなく身体がちょっと透きとおっているような感じだし、人形の背中では翼が羽ばたいているし―――なにより、喋った。

 喋る人形がいるだろうか?

 ひょっとしたらいるかもしれないけど、でもいま目の前にいるこの子は、どっちかというと人形というより―――

《お願い、助けて!》

「やっぱり喋ってる………ひょっとして妖精? うそ、本物??」

《アタシのことはどうでもいいの!
 それより水をたくさん飲んで、おぼれて、いくらゆすっても目を覚まさないの。このままじゃ死んじゃうよ、おねえちゃん助けて!》

 おぼれて?
 ここって山の中なんだけどなぁ……?
?
 そもそも、妖精って、おぼれたりするの??
?
《違うよ、あたしじゃないよっ
 おねえちゃん、こっち、早く滝の向こう!》

「滝の……た、大変、人が倒れてる!」

《おねがい助けて!》

「た、助けてって言われても…」

 いったいなにを、どうすればいいの?

 あたしじゃ……急いでタクを呼んでくる?

 それよりお母さんを連れてきた方がいい?

《そんなんじゃダメだよ、間にあわないよっ
 おねえちゃん、ジンコーコキューやって!》

「ジ、ジンコーコキュー?」

《アタシの言う通りにやればいいから、まずあごを引いて!》

「あ、あごを……引くッ」
?
 グギッ
?
「……い、今、すごい音がした?」

《………かも…》

「……」

《つ、次ぎは鼻をつまむ!》

「は、鼻を……」
 ギュッ
《それでまずはおねえちゃんが思いっきり息をすってェ〜》

「あたしが息を スゥ〜ッ と、スッて……」

《それを息が漏れないようにしっかりとくっつけて、相手の口に思いっきり吹き込む!》
?
 ふぅ〜〜〜〜ッ
?
 ……あ、あれ?

 この状況って……

《それで口を放して様子を見て、息を吹き返さないならもう一度………って、おねえちゃん?》
?
 ま、まさか…… や、やっちゃった……の?

 こんな山奥でおぼれるような、寝ぼけた男性(ひと)に?
?
《おねえちゃん、鼻をつまんだまま、口もふさいだままじゃ、息を吹き返しても呼吸できな―――》

「このあんぽんたんッ あたしの初めて奪っといて、いつまでも寝ているんじゃないわよっ!!」

《………奪ったってのは、違うような気がするんだけど》

 思わず突っ込んだパムだったが……
?
「・・・・・・」
?
《いえ!違いません、ハイ、悪いのは全部ラウルです!》

 直後に降りかかってきた無言の圧力に、パムは思いっっっきり身を引いてしまった。

《さ、どうぞ、殴っていいです、蹴ってもいいです。ただ死なない程度にして頂くと、アタシとしてはとってもうれしいです、ハイ》
?
 目を合わせていたら命がない!

 ―――ラウルだって、殺されるよりは絶対マシだと思う!
?
 思わずそう思ってしまうほど、彼女の眼光が鋭かったのだ。

 これからおきるだろう惨劇を予想して、両目を閉じて耳を塞ぐ。

 ところが、当の本人にはまったくその様子がない。

「ちょっと待って、今なんて言ったの!?」

《だから、死なない程度に》

「違う、その前」

《殴っても、蹴っても―――》
「もっと前!」

《悪いのは全部―――》
?
  ゲホッ……ゲホッゲホッゲハッ!
?
《あ、水を吐いた!
 ラウル、おきろーッ 寝ちゃったらほんとに殺されちゃうぞーーー!



《おきろーっ死にたくなかったら起きろーーッ!》

「ちょっと、いまの名前―――」

《お願いお姉ちゃん! ちょっとだけ、息を吹き返すまでは殴ったり蹴ったりするのは待ってあげてッ どこにでもいるようなさえない顔を
 していて、こんな山の中でおぼれるようなドジ馬鹿みたいな男と唇あわせるって、すごく抵抗あったと思うけど……それでもラウル
 アタシの命の恩人なのッ》
 
 ―――あとで半殺しにぐらいだったらしてもいいから!
 
と、泣き落としが通じない時は付け加えるつもりだった。が、パムの想像は意外にも外れた。

さっきまで視線だけで人を殺しそうな勢いだった少女(リム)は、ボウ然とした顔で咳き込むラウルを見下ろしている。

「この男性(ひと)がラウル―――くん? じゃあおぼれたのも、やっぱりあたしの……せい…」

《お姉ちゃん、お姉ちゃんってば!もう、ボーとしている場合じゃないのに……ラウル、ラウルってば、ラウルおきろー!》

ゲハッゲボゲハッ ゲホッゲホッッッッ ったく……けほっ……パム、聞こえているから、そんなに大きな声だすなよ」

《ラ――》

「ラウル君!」

《エ?》

「へ?」

「……よ…よかったぁぁぁ!

 少女(リム)は叫ぶと、やっと半身を起こしたばかりの青年(ラウル)に、飛び乗るように抱きついた。

 力の限り抱きしめるものだから、リムのツメが彼の背中に食い込む―――いや、食い込むというより、しっかり刺さっている。

 ラウルが思わず声を上げようとしたとき、目の前でなにかが浮かび上がった。
 
 ―――帽子? 麦藁帽子か
 
 飛びつくときに彼女から落ちた帽子、それが水の落ちるときに産まれる滝の風にあおられて夏の空に舞上がったのだ。

 宙に舞う帽子を見上げたとき、ふと彼の脳裏にある光景が浮かんだ。
?
 同じように暑い夏の日、

 同じように森の中で、

 同じように黄色い服を着ていて、

 同じように麦藁帽子をかぶっていて、

 同じように翠の髪をした―――
?
 ……なんだ、そうか。

 やっと帰ってこれたんだ、あの時に。

 ラウルは小さくため息をついた。背中の刺さる痛みも忘れて、ゆっくりと彼女の背中に手をまわした。

 七年ぶりの再会。

 手の中にある暖かさと、降り注いでくる日差しに、やっと彼の中にもその実感が沸いてきていた。

「……ただいま」

 つぶやくような、小さな声。

 その声に返事はなかった。そのかわりその声を出した口は、しばらくやわらかいもので閉ざされた―――

?
             ☆


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 離れた場所で、抱きしめあう二人を見ている影があった。

 影は二つ。

 一つは金髪の女、残る一つは黒髪の男。

「ン〜、なんか焼けるわね〜もぅッ!
 でも、よかったわ。あのコたちも無事のようで。特に彼(ラウル)は、あなたと対峙してしまったならまず助からないと思っていたけど」

 女性のほうが歓喜の声を上げた。その顔は単純に喜んでいるというより、どことなく意地悪な笑みを浮かべている。

 そんな彼女のほうを見向きもせず、男は無表情なまま口を開く。

「あの青年は私の攻撃を何度もしのいでみせた。だから、お前の助けも間にあった」

 だからいま生きている。ただそれだけだ。

 低い声音で、何の感情も感じられない口調で男が言った。

「私?」

「下から床を撃ったことはわかった」

「なんだ、バレていたの?」

 男の指摘に、女性はちょっと肩をすくめてみせた。

「―――あのとき彼(ラウル)が居なければ、あの遺跡とともに私を消すことも出来ただろうに。残念だったな、ブレイカー」

 男は無表情のまま、ほんの少し目を細めて言った。逆に言われた彼女のほうは、少し悲しげな表情(かお)を見せる。

 が、それもほんの一瞬のことだった。

「で、どうするの。今から彼を殺すの?」

 あなたにとって彼(ラウル)は、いや彼も、存在することを許さないんでしょう?

 うっすらと笑み浮かべて、彼女は男を見ていた。明るい、楽しい笑顔ではない。見る者の背筋の冷やす、さめた笑みだ。

 そんな彼女の笑みに、男は無表情のまま首を横に振った。

「お前と同時に相手をして、消せるような奴ではない」

 彼が遺跡を巡りつづけるなら、いずれまた会う。そのときに消せばいい―――そう付け加えて、男は彼女に背を向けた。

「もうこんなこと、やめてしまえば?」

「残念だが、それは出来ない。私は『過去』の残した『罪』をすべて消す。あの男が『過去を受け継ぐ』のであれば、もろとも消す。
 それが、今の自分自身の存在する理由(わけ)なのだから」

「それは、あなたの本心?」

「………」

 二つ目の問いに、返事はなかった。

 男は背を向けたまま、ゆっくりとした足取りで斜面を下っていく。

 遠ざかっていく男の姿を目で追いながら、彼女は一つ大きなため息をついた。

「まったく―――不器用で、損な生き方ね。あなた達って」
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?
?
 ……いいわ。
?
 あなたがあくまで過去を壊し続けるというなら、そうすればいい。
?
 でも私には、私の存在する理由がある。
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 あなたが彼に従い続けるなら、
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 いつの日にか私は、私の名前をかけてあなたの前に立つ。
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 『ハルカ・ブレイカーの名にかけて。』
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?
to be next・・・・・・
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?
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…おまけ(^^ゞ
<<そのあとどうなった?>>
?
「でもよかった、こうして再会できて……」

「二人とも、一つ間違ったらあえないところだったもんなぁ〜」

「ごめんね。あたしがちゃんとラウルくんのこと、信用して待っていられたらよかったのに」

「そんなに自分を攻めなくていいよ。僕だって、もしもリムちゃんが『すでに幸せになっていたら…』なんて考えたこと、なかったわけじゃな いから」

「……そうなの?」

「そうだよ。僕たち二人とも自分自身はちゃんと約束を守っていても、相手が『もしも……』って考えて不安になっていたんだ。
 でも僕はそれが悪いことだなんて思わない」

「……なんで? 疑うって事は、信じていないってことでしょう?」

「確かに、信じていないってことかもしれない。でもそれは『信じたいってこと』のあらわれだとも思う。信じたいって思いが強いほど、
 やっぱり不安も強いんだと思う。だから思い悩んでとってしまった行動も、僕にはちょっとだけうれしいと思う」

「…うれしい……けど、ちょっとだけ?」

「ちょっとだけ。 だっていろいろあったけど、こうしてちゃんと約束通り会えたんだし、楽しいことはこれからたくさんあるだろうから!」

「……じゃあ、もう一度、楽しいことする?」

「え?………」

「じ、ジンコーコキューじゃないけど、同じこと……」

「………」

「………」

「………じゃあ…」

 再び近づく影―――

あ〜〜〜! この私を差し置いてなにやってるのよッ」

「え?」

「げっ シーラ、なんでここに!」

《ア〜ン、もゥ、もうちょっとだったのに……でもなんであのお嬢様がここにいるんだろ?》

「シー…ラ?? ラウル君、知ってる女性(ひと)?」

「この私の瞳が黒いうちは絶対に逃がさないんだからね、覚悟を決めて私のイイ男性(ひと)になりなさい!」

「イイ男性(ひと)?……どういうこと?」

「え、いや、彼女とは……」

「一晩一緒に、ひとつの部屋ですごした仲よ。なにか文句ある?」

「……本当なの?」

「いや、それは―――」

《まぁ、ウソじゃあないよね》

「パ、パム!」

《だって、本当のことだし…》

「ふぅん…」
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 しゃきーん!
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「ラウル君、もう一つの約束、覚えてる?」

「も、もう一つ?」

「浮気してたら………その顔、バリバリにしてあげる♪」

「ち、ちょっとまって、誤解、誤解なんだってば、ほんとに!」

「ある雨の日、私と彼はとある森の小屋で二人、私とラウルは身を寄せ合ったの………」

「パムちゃん?」

《う〜ン、ウソは言っていないけど……》

「ばっ、そこは否定しろっ 完全に誤解されるじゃないか!

 ち、ちょっとまって、ちゃんと俺の話も―――」

「なにが自分自身はちゃんと約束を守っても……よ、この浮気ものーッ」

「ほ、ほんとに誤解なんだってばーーー!」

「問答無用! 乙女の心をたぶらかしたその罪の重さ、その身を持って思い知れ―――!」


?
 このあと、森に鳴り響いていた虫の鳴き声が止まるほど大きな絶叫が響き渡った。

 あまりの絶叫に、その場にいた全員が思わず目を閉じたから、彼におきた惨劇がどんなものだったかを知るのは、

 ようやく舞い降りてきた麦藁帽子だけだったのかもしれない……
?
 ……合掌。
?
?
 三部へ続く。
 ―――って言うか、続いてくれ、頼むから(^^ゞ
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 ..........to be continued...........
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THE REAL WORLD   Second Season「麦藁帽子の下で……」
 第十六章 ☆ 麦藁帽子の下で……

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